旅芸人のかつめし~かつめし異聞~
播州姫路に伝わる怪談話であるお菊井戸。いちま~い、にま~い、さんま~い、ししま~い、今何時?え、6時‥ななま~い…
このお菊井戸にそっくりなのが、東京の番町皿屋敷。ほかにも広島とかにも似たような話がある。
また姫路にはお菊虫という虫がいて、女性が後ろ手に縛られたような形をしている蛾のさなぎだ。これはお菊の呪いが虫にとりついたということで江戸時代、姫路城下を震撼させたこともある
昔、ワシはこのお菊虫のことを何かで知り、いろいろ調べたのだが、そこで面白い仮説にたどりついた。全国に散らばるお菊の怪談話と酷使したおはなし、そしてお菊虫。これらをつなぐ鍵は、江戸の時代の旅芸人がにぎっていたのだ。
つまり、旅芸人は日本全国を旅しながら演劇を行うわけだが、その演劇にリアリズムをもたらすため、微妙に出し物をその土地土地で変えていたようなのだ。姫路では姫路城の話にし、東京では番町にあるお武家屋敷に話をかえる。
また、たまたま見つけた蛾のさなぎがそう見えたため、これがそのお菊ののろいだーって宣伝するのだ。その結果芝居は押すな押すなの大盛況になる。
お役人の横暴ぶりを皮肉ったこの怪談話は、その土地のリアルとまじりあい大ヒットしたわけだ。
面白い時代だったんだろうなと思う。文化のカンブリア期だ。
女性がただ一人で旅ができた時代である。弥次喜多のようにさほど金を持たずとも旅ができた時代である。参勤交代や旅芸人がカルチャーを、日本中にシャッフルした時代だ。
食の文化にもこの旅芸人は一枚かんでいる。
加古川の土着の「かつめし」も、四国のほうから旅芸人によってもたらされた食文化だ。時代は文明開化の頃、四国では牛ではなく鯨肉をつかっていた。たしかに鯨肉にもデミグラス系のソースはあいそうだ。
捕鯨の盛んだった四国では、鯨肉をつかったカツめしならぬ、くじらめしを作って、「これが西洋の料理だーっ!」なんて具合に食べていたのだろう。
それを食べた旅芸人が、旅の途中に加古川の増水で足止めをくらい、その宿の人に作らせたのが鯨の変わりに加古川では安く簡単に手に入る牛の肉のカケラ。包丁とかについたミンチ状になった肉のカケラを集めて伸ばし作ったのがカツめしのルーツだ。
カケラは、やがて肉を叩くという手法に変わっていったが、食文化もお菊と同じように、その土地土地で微妙に変化し、やがて土着のものとして定着固定化されていく。
時間と距離によって熟成されていく文化。それは一人のクリエータによって作られる今の映画や音楽と違い、はるかに奥が深く面白いものだ。まさに大衆によって変化進化し、つくられたものだ。
ではそれらの大衆文化は過去の良き時代の形見になってしまったのかというとそうではない。カルチャーなんてもんは雑草みたいなものでどんな時代でもけして消え失せることはない。人の営みがそこにあるかぎり形はかわれど、かならず存在する。
今、大衆でつくりあげられるカルチャーはネットにある。たとえば2ちゃんのギコネコなんかがそれだ。アホな商業主義は、いくどかそれを「自分のものにしよう」と試みたがみごとに会社の姿勢を問われただけで終わることになった。
犬飼いの間で知れ渡る作者知らずの詩「虹の橋」なんかも、ネットをさまよううちに誰かによって加筆されたり、修正されたりしながら、多くの人の心を感動させてきた。
貿易センタービルのテロの追悼かで有名になった「千の風」もそうだ。こちらは、日本では曲をつけられ著作権扱いになっているようだが、ワシ的にはドロボウのような気がして素直に感動できない。
ネットで語られ続ける「100人のむら」の詩も、どこかの日本人が絵本にして、各地で講演を行っているが、なんかイマイチ納得できかねる気がしている。
もともとネットは商業主義とは遠いところに位置するものだった。オープンソースのUNIX系OSがそうであるし、「皆で情報を共有しようよ」というところが目的であるのだ。が、しかし、そこはパチクリ放題なのかというとそうではなく、ちゃんとリスペクトがあっての情報共有なのだ。
ちなみによくほっとかこがわの謎のキャラクター「どら播左右衛門」ドラえもんのパチクリだという人がいるが、これはパロディのつもりだ。パチクリとは、「他の人がつくったものや、考え出したものを自分がつくりだしたがごとく偽り、経済的もしくは精神的な利益を得る」ことを言う。この定義が理解できていない人は意外と多い。
ワシはよく企画やらアイデアをパチくられるが、あまり著作権がどーのとかを言う気がしない。それは、じゃまくさいというのも多少あるが、どこか頭の中に、アイデアや企画がオープンソースとして、さまよい、誰かのアイデアと融合し進化していくという夢想を想像するからである。
大衆文化や、UNIXや、ネットで流れる詩のように、機能してくれればいいと思っている。
しかし、リスペクトがなく、たんなるドロボウが横行する中、もちろん盗まれたということは言うべきことで、それをよしとしてしまっては、ワシはいいにしても、他の同じようにパチくられてる人に申し訳ないし、迷惑をかけることにもなるからだ。
| 固定リンク

コメント