■「ここではない場所」
その団体の会員になるには、まず準会員としてなにか事業を行い、理事長面談を経て認められるという手順を踏むことが必要だった。ワシと同時に入会した同期の連中と事業を考えて実行したが、その事業を企画する段階の議論の熱さは胸を熱くするほどのものだった。 その団体の理事連中の不手際で、正規事業とに日にちがブッキングしているという理由で我々が延々と議論してきて組み上げてきた事業が実施できないと知ったときの勢いは、このまま池田屋にでも殴り込みでも行きそうな新撰組さながらの、テンションだった。
とにかく、熱かった。この連中となら日本をひっくり返せるのではないかとさえ思った。
ところが団体の理事連中はさほどでもない。準会員の不満は理事面談で爆発した。
皆、会員になれなくてもいいやと思っていたに違いない。ワシも「例会で私語が多すぎる。まるでこの団体の例会は小学校の朝礼か」と準会員でありながら組織批判をした。その時理事長のいった「軍隊じゃないんだから…」という言葉に準会員はその温度差に皆顔を見合わせたのは、あれから10年以上たった今でも鮮明な記憶だ。
ハイテンションで入会した我々は数年間は熱く議論し、組織を批判し変えていこうとした。しかし、その熱い想いはまるでとうふに釘を打つかのごとく手応えを感じなかった。反論もなければ認めもしない。ハイエラルキーな組織の構図が情報を緩和してしまい、また「ちゃんとしてない」組織の一部の連中によって、前をいくスピードの遅いトラックが渋滞を起こすがごとく、熱い想いは全力疾走できずに冷めていった。
そして我々は、あきらめてしまった。「ここである必要」など何もないと思い始めたのだ。
さて、この構図は加古川のじつにいろいろな場所で見られる構図だ。若い連中が育たないといろんな団体が頭をかかえるそぶりを見せるが、育たないのではなくて、育ててないのだ。加古川の「ぬるい」「ダサイ」空気は、この「ちゃんとしていない」連中によって引き起こされる渋滞、トラフィックなのだ。
熱さを持った若い連中は「ここではない場所」を求めて神戸や大阪といった人口の多い場所で活動し始める。そうでない連中は、「ぬるくてダサイ」中で良い子ちゃんを演じて認められて生きていこうとする。かくして加古川という特殊な空気が形成されてゆく。
この構図は、商売でもいえる。加古川に仕事にきた人には語らずとも解ると思うが、ほかの町に比べてかなり特殊なのだ。仕事というのはお互いにパートナーシップでやるものだ。買うものが偉くて売るものが下であるなんてことはなくて、互いに立場は対等なはずであるがこの地ではそれが通用しがたい。とにかくクレクレタコラなのである。しかも頭の高いクレクレタコラ。ある企業は、そのクレクレタコラにここでは商売にならないと「ここではない場所」へと、撤退してしまった。
この構図の上に最近は「参画と協働」という流行が押し寄せてきている。参画と協働という名のもとに補助金が下り、また参画と協働という名のもとに無償で人が動かせる。そして何のリスペクトもないまま、まちづくりという実態のない権威のため「かこがわばんざい」と叫びながら皆が玉砕してゆくのである。そして最近では、人がいなくなったので高校生にまで手をひろげる始末だ。
「王様の耳はロバの耳」であることを言える環境整備。まず、それがなければ参画と協働は加古川を、そしてこの国をとんでもない方向へもっていってしまうのではないかとワシは思う。「ここではないばしょ」を求めることができるうちはまだいいが、そのうち「ここではない場所」がどこにも無くなるのではないかと恐れている。
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